各地域の営み 【福島県】
街の灯
『新型コロナウィルスに立ち向かう~東日本大震災の経験から思うこと~』
医療法人仁寿会 菊池医院院長
認定NPO法人 郡山ペップ子育てネットワーク理事長 菊池信太郎(小児科医)
明治の終わりにこの世に誕生し、多くの災害や戦争といった激動の時代を生き抜いてきた祖母菊池壽子は、98歳にして未曾有の東日本大震災後に遭遇しました。震災直後の落ち着かないに被災地の毎日を見て、自らの人生経験から絞り出すように私にこう言いました。「戦争はね、憎むべき敵を作って、そのせいにして気持ちをごまかしているのだよ。でも、自然災害はそうはいかなね・・・」。一方、震災の日に71回目の誕生日を迎えた父菊池辰夫は、余震が激しく続く中でこう宣言しました。「私は今日、生まれ変わりました。これから郡山を守るために全力を尽くす」。コロナウィルスの蔓延で世界中の人々が不安を抱えながら生きているこの状況をみたら、二人は何と言うのでしょうか。
震災後の放射線汚染という特殊な環境下に置かれた子どもたちは、長く不自由かつ不安な日々を送らざるを得ませんでした。子どものケアの基本は、彼らが安心して過ごせる居場所を早く作ることです。居場所の中心は家庭であり、子どもが通う学校や保育施設、遊び場、地域なども含まれます。子どもが思いっきり遊び、多くの人と関わり、そして楽しい想い出を作れる居場所が必要であるという考えから、PEP Kids Koriyamaを発案しました。しかし、今のコロナウィルス蔓延下では、この手法は通用しません。集うな、外出するな、交わるな。人と関わり、体を思いっきり動かし、沢山の経験をするという子どもの成長発達に必須であることが制限されているばかりか、安全基地であるはずの家庭も様々な不安を抱える大人によって不安定な状況にあるかもしれません。
放射線汚染下と感染症蔓延下ではもちろん同じではありませんが、しかし、福島の私たちには、あの過酷な状況を乗り越えてきたという自信と、9年も見えない敵と戦ってきたという経験があります。見えない敵をただ怖がるのではなく、正しく怖がることの必要性を学びました。どうしたらそのリスクを減らすことが出来るのか、リスクが潜む場所や環境について学びました。不自由な日常生活が続くと、どんなことが起きてしまうのか、例えば肥満傾向が進んだり、体力が落ちたりすることを知りました。謂われもない誹謗中傷や風評が、いかに人の心を傷つけ、人間関係を分断するのかを目の当たりにしました。そして、何よりも家族や地域の人がお互いを助け合って慮り、行政・教育・産業が協力することが大切であるかを学びました。これら多くの経験や知見を今こそ応用する時です。
そしてもう一つの教訓は、私たち日本人は情報リテラシーに関する能力が低いということです。つまり、自ら情報を集める力、その情報の正しさを見極め、様々な情報から何が起きているのかを想像し、その奥にあるものを読み取る力、そして、その情報を元に自分の行動を決定する力が弱いように思えます。他人の意見やマスコミの話を鵜呑みにし、人の言動に流されてしまいますと、いつになっても不安と葛藤の中をさまよい続けてしまいます。このつらい状況だからこそ、子どもたちにもそのことをしっかりと教えるべきだと思います。孫子の兵法にも有名な一節があります。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」。まずは敵を知り、自分が感じている不安を具体的に知る事です。これは家にいても誰でもできることでしょう。
さて、祖母が開設した当院は平成30年に創立70周年を迎えました。その記念事業として新診療所を目下建設中で、6月にはオープンできそうな見込みです。しかし、外来受診者は激減し、診療所の経営そのものが非常に厳しくなってきました。自らが感染する可能性が非常に高い環境にいる緊張感もあります。コロナウィルスによって新たな門出に水を差された格好になってしまいましたが、今はじっと過ぎ去るのを待つしかないでしょう。そして、子どもたちが失った貴重な時間を取り戻すべく、何をしたら良いか考え準備をしなければなりません。PEP Kids Koriyamaの早期再開を願いつつ、できる限りのことをしていく所存です。もし父が生きていたらきっとこんな決意を二人でしていたでしょう。「郡山に子どもが一人でもいる限り、自分たちは最後まで残って闘う」と。