風の声_HP用.png

◀︎前へ  第5回  ▶︎次へ

小児科医の思い

 

新津直樹 小児科医 山梨県

現代の子どもを取り巻く社会的な問題として、虐待、不登校、いじめ等が跡を絶たない現状である。その原因を一元的に決めつけることは困難であるが、小児科医として常日頃考えていることは、「甘え」理論を熟知し、予防することが肝要であるということである。

そこで、虐待といじめについて、『土居健郎選集2「甘え」理論の展開(岩波書店、2000年)』に述べられている一説を紹介し、各地の現場での参考になれば幸いである

「甘え」といえばまず誰しも子どものことを思い浮かべる。もちろん甘えるのは子どもばかりではない。しかし、それが何か幼児的なものと関係があるというのは一般の認識である。実際、まだ片言も言えない乳飲み児が母を求める所作をするとき、人々は「ああ、この子はもう甘える」という。この例が示すように「甘え」は本来的には非言語的非反省的な心の働きである。言い換えれば、「私は甘えます」と言って甘えるではない。この点は子どもが大きくなって、「甘える」という言葉の意味を知るようになった後も同じである。もちろん自分のやっていることが甘えであることがわかる場合もある。しかし、それはむしろ例外で、そのことを自覚していないことの方が多い。

大人の場合も同じである。大人たちが何かをあるいは誰かをあてにしている際、そこに甘えが働いていると見ることができるが、しかしその場合に本人が甘えを自覚していることは稀である。甘えが無自覚に起きるということこそ注目すべきである。

 

普通の親子の場合、子どもは親に甘える。つまり甘えを媒介として子どもは人間関係の中に入る。そして親に甘えられるので子どもは親にしたがう。もっともいつも子どもの思うままに甘えられるわけではない。そこで甘えられない分だけ自分勝手に振舞おうとする。それが子どものわがままといわれるものの本質である。通常、全く甘えない子どもはいないように、多少ともわがままをいわない子どももいない。そして甘えたりわがままをいったりしながら、子どもは次第に成長し、最初は家族の一員、ついで学校という社会に組み込まれ、やがて成人して広い社会の中で独り立ちするようになる。

以上は普通の平均的な子どもの場合であるが、もし親の側で子どもの甘えを全然受けつけないとしたらどうなるだろう。昨今わが国で問題になっている児童虐待の現象は実はこのことと関係がある。そしてあからさまな児童虐待に至らないまでも、いたずらに自立を促すのみで、子どもの気持を全然理解できない親の数がふえているように観察される。もっとも昔から「親はなくとも子は育つ」というのだから、親が駄目でも世間の善意さえあてにできればそれでも用は足りるのかもしれない。しかし今日の世相は一昔前に比べてますます世智辛くなっており、子ども心をはぐくむにはほど遠い。大体、隣近所の関係というのもこの頃は希薄になっている。

こういう状況下では、甘えといわば対極的な心理である妬みがひそかに成長されることになる。最近甘えの真空状態の中で起きる極端なわがままと妬みが、話題になることが多い子ども同士の激しいいじめや、またその他の犯罪行為の背後に潜んでいるように考えられる。