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コロナウイルスパンデミックの中を生きるわたしたち家族

 

永寿総合病院 小児科医  田中祐子

 

ケースを紹介するにあたり、2020 年 3 月 4 月の日本の状況と、筆者の勤務先での個人的経験に簡単に触れたい

  目に見えないコロナウイルスとの遭遇  

2020 年1月、コロナウイルス感染症(以下 COVID-19)は対岸の火事と認識されていて、日本初のコロナウイルスを顕微鏡下で確認した国立感染症研究所の医師は『結局 SARS も MARS も日本には来なかったのに』とショックを受けた。2 月、ダイヤモンド・ プリンセス号でクラスターが発生した。3 月 WHO が COVID-19 はパンデミックとの認識を表明し、ニュー ヨークの医療崩壊の報道が、日本もロックダウンかと覚悟させた。3 月頭、全国小中高臨時休校が突然要請され、4 月 25 日初回の全国緊急事態宣言、1都 3 県 の「いのちを守る STAY HOME 週間」と続いた。

 

見えないものへの健康不安・地域や家族の分断・育児の孤立化は、現在の新型コロナウィルスの流行 (以下コロナ禍と記述)も同じだ。母親たちは感染への不安から人との接触を避け、孤独な育児を行なっている。今年3月に出産したある母親は、「コロナ禍によって育児が全く期待していたものと違ってしまった。出産後の手伝いのために他県に住む親が来 ることができなくなり、行政サービスの赤ちゃん教室も中止されママ友を作るチャンスもない。子育てや感染の不安なままに1日中、1人でこの子と向き合うしかなく、ストレスで声を出して泣いてしまう」と訴えた。東日本大震災の時に「絆」がスローガンとなった。すなわち危機に際して人は人との繋がりによって信頼と安心が生まれ、危機を乗り越えさせる力となってくれた。それはコロナ禍においても同じことだ。この育児の孤立化に対しては、臨床心理士と保育士、 地域保健師のコラボで行った放射線不安の子育て支援「親子遊びと親ミーティング」が応用できた。乳幼児は親への愛着によって信頼と安心を得る。親たちは、友人や家族等との絆によってそれらを得られる。したがって「親子遊び」で愛着を促進し、「親ミーティング」で親同士の支え合いを生み出すことが 期待できた。

筆者の勤務している永寿総合病院(以下永寿)は東京下町上野に 64 年の歴史を有する 400 床の地域の 中核病院で、3月に院内に COVID-19 のクラスターが発生した。筑波大学災害精神医学太刀川弘和教授が 「COVID-19 は戦争テロ自然災害と変わらない心の問題を引き起こすことがある」と言った(4 月 8 日朝日 新聞)。永寿の院内クラスター発生は、まだ誰も経験したことのない規模で、東日本大震災の放射能被害と 類似点の多い集団の危機を引き起こした。放射能もウ イルスも目に見えないことや、被災者や医療者への風 評被害、どちらもいつか発症するかもしれないあいま いな命の危険があることが共通した、個人の対応能力を超えた災害だった。

  COVID-19 のクラスターの恐怖とは  

クラスターの渦中には、急激に重症化し救急搬送され、死を覚悟した職員もいた。たいていの職員は、検査結果に基づき入院あるいは自宅待機し職場復帰し た。大多数の職員は非感染者だったが、感染の可能性というあいまいで終わりのない不安を体験した。「咽頭痛」「微熱」があると、「明日には、発熱や味覚障害に違いない」とひそかに重症化を恐れながら眠る。そして、翌朝体調に変わりがないと安心して出勤するが、体調の些細な変化に重症化の不安を感じることを繰り返し、気づくと睡眠障害や早朝覚醒が出現する。

クラスターの災害下では、情報伝達の混乱からくる 不安や孤独感、風評被害による職員間や家族内での差別やいじめによる人間不信、専門業務や病棟チームが感染制御のために分断される無力感や怒りがあった。 外来閉鎖による経営状態への不安から病院に対する怒りが表出された。さまざまな理由から退職者が続いた。

「永寿の人」には遠慮してほしいと仄めかされ、保育園の利用が困難になったことも退職理由の 1 つだっ た。「永寿の関係者=濃厚接触者であり感染者」であり、 家に帰ってもマスクをしていないと安心できない職員もいた。

2 か月後 COVID-19 患者院内 0 人が達成され、診療が再開された。すでに勤務時間外も気を緩めることなく働き続けてきた職員にとっては、再会の喜びよりも、 限界を超える挑戦となった。ミスを許されない感染対策への適応、4 分の 3 に減った仲間で業務を行うことへの適応、経費削減への適応と、待ったなしの過適応の連続に心身の不調を訴えるものもいた。

勤務先が災害下に置かれるなかで、私は、FW の幹事の先生方との勉強会から、今まで通りのつながりとともにいる安心感という力をいただいた。院内では、4 月 6 日に永寿病院の職員のためのメンタルヘルスサ ポートチーム “ オリーブ ” を立ち上げ、また、さらに、 私は、郡山の臨床心理士成井香苗先生、慶應の鴇田夏子先生、国際基督教大学の揖斐衣海先生、中部学院大学の Dalrymple 先生にスーパービジョンをしていただいた。オリーブは、心理的なセルフケア啓発のためのオリーブ通信、気軽に立ち寄れる個人情報を守るための相談室オリーブの部屋、院内の再生を支えるグループミーティング、毎月のラウンド、職員心理アンケートと結果の発信などを行った。印象的だったのは職員と、階段の踊り場でよく話したことだった。

次に、ケースを紹介する。全て了解を得て、プライバシーに配慮している。

  ケース1 A さん 看護科長  

永寿内にクラスターが発生した。PCR 検査の結果が陰性であっても、PPE(個人用防護具)を正しく着 用していても、COVID-19 専門病棟に向かう限りは、新たな感染を否定できない。家に帰れば、家族にうつ してしまう可能性は否定できない。

看護科長として先頭に立って働く A さんは、小学 校 3 年生の長女 B ちゃんが毎朝泣いてしまい登校で きないと相談に来た。A さんはご夫婦とも医療者の 3 人家族で、B ちゃんは健康な母子関係の中、両親と祖父母に温かく見守られ育ってきた。「お母さんが大好 き」で、お父さんとも仲良しで、B ちゃんは A さんの 仕事の状況をよく理解していて、A さんは B ちゃんを わかりすぎてしまうところがある子と感じていた。

A さんと一緒に、3 月からの経験を振りかえった。A さんはずっと涙を流している。「一番つらかったし怖かったのは 3 月です。病棟の看護師にも感染者がいて、仲間を守れなかったことがつらかった。けれど、あの時は何が起きているのかどうすればいいのか まだ何もわかっていなかった。亡くなった患者様も多かった。PCR 検査で陽性で自宅待機になった仲間も、陰性で COVID-19 のいる病棟に PPE で働いた仲間もつらい目に合った」「帰宅できない日が続き、ある夜、 夫に職場から電話をした。夫は重症化リスクの高い持 病もち、B ちゃんには絶対にうつしたくない。患者さ んはもちろん病棟の仲間も大切。お母さん大好きな B ちゃんを悲しませることはつらかったけどそれを承知 の上で、感染症の収束まで宿に寝泊まりして勤務することにした」そう決めたのは深夜だったので、B ちゃんには、翌朝起きたときに A さんがテレビ電話で伝えた。B ちゃんは泣きじゃくりながら登校した。A さんは振り返るたびに毎回涙があふれてしまうできごとだった。

結局家族の別の事情もあって、実際には 3 週間で A さんは自宅に戻った。登校再開後、B ちゃんは毎朝起きると泣いて、学校に行き渋るようになった。何があったかなぜ泣いているか、A さんは B ちゃんのお話をよくよく聞いた。学校や学童と連携したり、時間をやりくりしたり、ラインやキッズ携帯を用意したりし、 B ちゃんが好きなときにお母さんと連絡を取れるように職場にも理解してもらった。それでも、翌朝は泣くの繰り返しだった。来院した B ちゃんは、A さんの状況もよく理解し、「公園でも会えたし、怖くなかったよ」 と言っていた。

A さんともう一度あの朝のことを振り返った。A さんも何度話しても涙が出る。B ちゃんの心のどこかに、 お母さんにもう会えないという悲しい知らせが待って いたあの朝のことがずっと響いているに違いない。そこで、分離不安の話をし、毎朝 B ちゃんも好きなだけ抱っこで泣いていいよ、A さんも好きなだけ抱っこしていいよ、あの朝そうしたかったことをしましょうと提案。A さんはすぐに実行し、B ちゃんが朝泣くことはその日からなくなった。その後 B ちゃんが携帯にかけてくるときの切羽詰まった声や毎朝の抱っこの時間を通して、今回の分離で感じた不安がどれほど強かったか痛いほど実感した A さんは、どんな時も必 ず B ちゃんのいる自宅に一度は帰ることを実行している。

  ケース2 C さん 主婦  

3 月頭から全国的な登校停止が始まった。4 月 16 日には全国緊急事態宣言が、終わりが見えないまま始 まった。5 月 25 日に緊急事態宣言解除になり、6 月 は分散登校が始まった。

S ちゃん T ちゃんのお子さんが不登校になり、長く カウンセリングを受けている C さん。口癖は、「あんな によくしてもらっているのに担任の先生に申し訳ない でしょう!なぜ登校しないの?」だった。毎朝登校を する、しないから始まり、生活全般を登校に結び付け ようと子どもを傷つける発言をしたり、一喜一憂して きた。初診時は「親に褒められたことが一度もないダメな私は夫に暴力を受けたり無視されて当然」と言っ ていた C さんだったが、受診を重ねるごとに、ご自分 の生い立ちを振り返り、ご自分の怒りや子どもの気持 ちにも次第に目が向くようになっていっていた。

2020 年 3 月に、出席停止措置が始まると、C さん はお子さんの 1 日ゲーム三昧の生活が自分のイライ ラの原因にならないことに気づいた。「学校に行かな くてはならないという足かせがないと、気持ちに余裕 がある。激しい小言も出てこない。多くはないけれど、 お子さんと会話がある。楽です」と電話再診で話していた。

そして、5 月末に、政府が緊急事態解除の予定とい うニュースを聞いた瞬間、C さんは自分自身の中に消 えていたはずのイライラが湧きあがり、子どもを責め たくなっている自分に気づいた。C さんは、「子ども にぶつけていたひどい言葉の原因は、不登校ではなか った。自分の問題だった。それこそが我が子を傷つけ てきた」と気づいた。「今までも長期休みのたびに感 じてはきたけれど、緊急事態宣言で登校禁止となって 初めて、どんなに自分が学校に行かなくてはならない、 先生に従わなくてはならないということに縛られてき たかがよくわかった」と話した。

後日、お母さんは、「次第に成長して来ていた自分だからこそ、わかったんだと思う。あんな母親だったから、上の子には本当に申し訳ないことをした。上の 子には『ずるいよ。お母さん、私の時とは違う』と言われます」と、語った。

  ケース2 C さん 主婦  

D さんの次女 E ちゃんは、学校からたびたび注意を 受けてきた。思いやりのない言動や切れる行動が頻回 にあるというのだ。子育て支援の仕事で管理者にな り、家では家事を手抜きなく引き受けてきた D さんは、 家ではそのような E ちゃんを見たことがなく、学校 との相性の問題としか考えられなかった。ところが、 自粛期間に親子で触れ合う時間が増えて、E ちゃんの 行動は E ちゃん自身の問題と気づき、発達障害が気 になり、専門の小児科を受診した。D さんが E ちゃん との関わりに悩んでいると知った専門医は、関係性を重視している小児科医を D さんに紹介した。

 

その小児科医に D さんが聞かれたことは、『支援者 の経験を生かすとすると、E ちゃんのその様子は何歳 の感じがしますか?』という質問だった。D さんは「、2 歳」と即答した。E ちゃんは小さいころから手がかか らなかったけれど、いくら言ってもいつものんびりし ていて、D さんがなんでもしてあげてきた。そして、 D さんは、「E とはあわないんです。イライラしてし まうんです」と言った。


振り返ると、D さんは、自分の母には甘えさせても らえなかった、寂しかったという幼児期の思いが涙と ともにこみ上げてきた。商売で急成長した実家には、 祖母である急死した先代の後妻から前妻の子である D さんの父へのネグレクトや、祖母が先代の死後シング ルマザーとして家業を守り抜き一代でビルを建てたビ ジネス最優先の家風があった。祖母にかわいがられ家 業を継ぐことを期待された D さんだったが、操作的 な祖母の手前言いたいことは一切言えず、大好きな母 の背中だけを見て物心ついた時から甘えたい気持ちを ひそかに我慢してきていて、家業は嫌いだった。とこ ろが、今回のことを通して、家風を一番継いだのは自 分かもしれないと気づいた D さんは、心を置き去り にしてきた子育てを歩みなおしている。自粛期間の親 子の関わりは、D さんを内省的にし、E ちゃんとの心 の出会いを運んできてくれた。1 か月後には、学校の 先生からは、「D ちゃんは感情的になりやすいところ はあるけれど、今では、周りのお友達に優しく気遣っ たりできるようになりました」とのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  まとめ  

1 ケース目には、災害下におかれた病院を守る使命 を全うしながら、影響を受け分離不安を訴える我が子 との関係性に必死に向き合う A さんの姿がある。実 は後日、A さん自身が想定外の緊急受診をしたのだが、 A さんはとにかく B ちゃんとの約束を守ると痛み止め を飲みながら、B ちゃんが帰宅する自宅に戻ってから、 入院した。この入院中の母子分離では、B ちゃんはお 父さんと一緒に著変なく過ごしていた。

2 ケース目は、C さんが長年の苦しみからご自分の 気づきで楽になり、お子さんたちと本音で向き合える ようになった。
 

3ケース目の D さん自身のナラティブはこれから始 まるのではないか。お母さん思いの D さんのお子さん 達の心のメッセージが、D さん自身の世代間伝達と実 の親への甘えの体験と響き合っていく兆しがある。

 

2 か月間の外来診療中断と、小児科の入院受け入れ 中断の影響があり、院内の診察環境は大きく変化し以 前と比較することは難しい。ケースを通して感じられ るのは、コロナ禍で、大人も子どもの抱える不安が増 えただけでなく、自分や我が子に対する気づきも増え ているということである。お母さんの気づきが子ども や家族との新しい関係性の芽を育み始めていることで ある。

 

2020 年も暮れになった病院に 1 か月健診を受けに きた家族があった。コロナで不自由な思いをしながら の妊娠出産をねぎらっていると「実は、うちはこれで よかったと思う」とお父さんが生き生きと教えてくれ た。「コロナがなければ、仕事人間だった。こんなに 息子と一緒に過ごすことはあり得なかった。今リモー トワークになって、一緒にいて話しかけると息子が返 事をしている気がする、会話が成立している気がする。 病院の方々には不謹慎だが、コロナに感謝している」 と話して帰っていかれた。 人の結びつきを切ると言われているコロナ禍である 一方で、東京では緊急事態宣言による人の流れの変化 の結果で親密な人との関わりがやむを得ず増えた。臨 床を通して感じることは、ステイホームせざるを得なくなってはじめて、生まれ持った私たちの生物的に健 康なリズムを取り戻す機会も増えているのではないか ということである。合理化を求められる現代社会の中 で経済優先のため後回しになってきた子どもの親との 関わりのニーズは、むしろコロナ前より満たされてい る場合もあるのではないか。子どもが時間にせかされ ずに心に浮かぶことをお話ししたり、お父さんもお母 さんも子どものちょっとした表情やしぐさにも心の目 を向けることのできる、間主観的な響き合いの生まれ やすい生活もあるようである。

日本乳幼児精神保健学会 学会誌 Vol.13 2020

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